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yumiriya’s diary

今の自分が感じたり考えてることを綴っていこう

15年前(愛と悲しみと…)

15年前の今日、私は衝撃的な映像を21時46分に見ました。



アメリカのWTCへ立て続けに旅客機が躊躇いなく突入していきました。




これ現実❔と自分を疑いました。


アメリカ時間では8時46分に北棟が一機目の突入を受け、9時3分には南棟へ二機目の突入がありました。




その南棟には私を可愛がってくれた先輩がいました。




少し遡りますね…





あれは15年前の8月に入ってからでした。




先輩と奥様が私の家を訪ねてきました。


「○○○、今日は報告があってきた。」


「ん?わざわざ、どうしたんですか?」(私)


「辞令が出て、国際事業部に配属になった。来週早々とりあえず、俺だけ先にいく。○○は引越の準備が整い次第アメリカに来る予定。それまで、○○のこと頼むな。」



「○○さん、国際事業部って、うちの会社は前面撤退の方針ですよね?今回の辞令を受け入れるってことは、撤退処理をしに行くって事ですか?」(私)




「まぁ、そういうことになるな。一年半だ。




「○○さん、○○さんがやりたい仕事は金融機関の国際事業で力を発揮することでしたよね?確かに今のご時世、規制緩和や金融淘汰、合併、国際事業の見直しってなってますけど、撤退業務って本当にやりたい仕事じゃないんじゃないですか?むしろ海外へ出たいのに、引き上げの仕事って…」(私)




一呼吸置いて、先輩は決意を込めた口調で言いました。




「○○○、確かに俺は金融も国際事業も大好きでこの銀行に入った。うちの会社が国際事業部の撤退を打ち出した時、凄くショックだったよ。だけど、海外での仕事をやるチャンスがあるなら、撤退でも仕事をしたい。自分の手で撤退させてくる。」




先輩の決意を私はしっかり感じました。




「○○さん、奥様の事は大丈夫ですよ。むしろ、そちらが落ち着いたらNYへ遊びにいきます!」(私)




「おう!遊びにこい!待ってるからな!お前も頑張れ!」





これが、私と先輩の交わした最後の会話でした。





そして、私はあの衝撃映像をみて、NYの先輩の家に電話を掛けました。




「はい。○○です。あ!○○ちゃん?こんなに朝早くどうしたの?あ、日本は夜だったね。」 




「○○ちゃん、今何してた?」(私)



「旦那さんはとっくに仕事にいったから、掃除機かけてたけど…なんかあったの?」



「テレビ付けて!早く!○○さん、もうオフィスいるなら、オフィスに旅客機が突入してる!」(私)




「○○ちゃん、これ…なに?どういうこと?」



「○○さんって、何時にオフィスにいつもいるの?」(私)



「確か、8時過ぎには着いてるはず…」



「○○さん、ピンポイントでオフィスにいるってこと?不味いよ!○○ちゃん、安否確認急いで!落ちてね。○○さんなら大丈夫!信じよう。」



それから日本時間の明けて12日の朝早く、私は再びNYへ電話を掛けました。



「○○ちゃん、どうだった?○○さん、生きてた?」



「それが、会社も確認取ってるから連絡を待てって…いつまで待てばいいのか…。彼は、フレックスなのに、いつも皆より早く仕事に行って頑張ってたのよ。それがどうしてこんなことに…○○ちゃん、こんなことってある?どうしていいか分からない。」




「まだ確かな事は分かってないから、諦めないで!○○さんなら、絶対に逃げて生きてるはずだから!帰ってくるよ!」(私)




そして時間だけが過ぎ、報道を見続け…



会社からは、

「今回の事件性について、社員の安否と現状把握に全力で努めている。他の社員、並びに家族は一切のマスコミからの取材を受けないように」


と会社からの通達がでました。



そして12日の夕方、私の自宅にも新聞社の方が訪ねてきました。当然、取材は丁重にお断りしました。
しかし、その時の降りしきる雨の音が悲しみの暮れそうなほど悲しい雨音だったのを、今でも覚えています。



事件から7日後、私はNYへ電話を掛けました。


「大丈夫?」(私)


事件から一週間経って、遺体も見付からず…
会社は他にも犠牲になった社員を含め、社葬の日程を進めていました。



「彼は旅客機が突入してきたとき、どれだけ怖かっただろうか?痛かっただろうに…なにを思い、なにを言いたかったんだろう?本当に怖かったと思う。どうして彼がこんな目に会わないといけないの?私は何もしてあげられなかった。
今巷ではテロって言われてるけど、誰を恨めば、怒りの矛先を向ければいいのか分からない。遺体もない、恨む相手も分からない。気持ちのやり場が見付からない。
そして、一番可愛そうなのは、彼…」(奥様)



まだ一週間しか経っていませんでしたが、


「これからどうするの?そっちで暫くいるの?」(私)


「親族が心配しているから、1ヶ月を目処に実家にとりあえず帰る方向になってる。NYで一人だと余計に心配だって。」



「うん…実家に…」(私)



「○○ちゃん、いろいろありがとうね。こんな形で愛する人を無くすなんて思ってもみなかった。けど、誰を恨むとかよりも、彼の事を一生忘れず一生愛していきたいと思う。本当は遺体、遺骨でもいいから抱きしめて日本に一緒に帰りたい。
私は彼をずっと愛してる。これからもずっと…
本当にありがとう。○○ちゃんも元気で頑張ってね。彼の事を忘れないでいて欲しいです。」



「うん。うん…」



私は溢れんばかりの涙が止まりませんでした。




先輩が出発前に私に話してくれた言葉。
志高く、やりたいことを撤退しにいく気持ち…



そして、テロ…



家族や親しき者達の気持ち…



旅客機が突入してきたときの情景と先輩の気持ちを想像すると、未だに胸が苦しくなってしまいます。




私はまだ「911 メモリアルプラザ」にいっていません。



きっと泣き崩れると思います。
それほど、あの事件は私にとっても大きなショックと悲しみでした。



私は先輩のことを、尊敬しています。

そして近い将来、NYに会いに行きたいと思います。



先輩の奥様は、今実家で暮らしているとのこと。NYに先輩へのメッセージを残しています。




「貴方と逢えて幸せでした。」




と…




平和であって欲しいと、願うばかりです。

15年前の9月11日のあの事件に巻き込まれた方々のご冥福をお祈りしたいと思います。




愛した人と自分達の意図とは全く関係なく、「死」という形で引き裂かれる…



そんな悲しい世の中になって欲しくないです。





これからもずっと、平和の大切さを持ち続けて行きたいですね。











本日もお読み頂きまして、ありがとうございました🍀