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yumiriya’s diary

今の自分が感じたり考えてることを綴っていこう

どうにもならないこと

こんばんは😊


オリンピックも間もなく閉会式ですね。



忙しくてliveを観ることが出来ませんでしたが、ダイジェストでさえも興奮し、熱くなりました。


今日はオリンピックに出たくてもある事情により、国体すら出場を許されなかった人について綴りたいと思います。
いつもより少し長いかもしれません。




その人(彼)は戦後すぐに日本で7人兄弟の6番目に生まれました。
彼の両親はアジア系の外国人でした。


戦後ということもあり極貧を極め、毎日寝る布団は段ボールでした。


食べ物については、彼が6番目の子どもだったこともあり、兄や姉が働いて何とか「食べ物」というに値する物を食べる事が出来ていました。


しかし、小学校の頃は

「○○(国名)に帰れ!」

と常に石を投げられ、毎日のように差別を受けていました。



そんな中で彼は成長し、兄弟の中でも運動神経がずば抜けていました。



ちょうど彼の家の裏には幅5メートル程の川がながれていました。



彼はお金の全く掛からない、パンツ1枚で出来る「水泳」に夢中になっていきました。



川で練習するため顔を浸けるには抵抗があったそうで、彼は「背泳」をひたすら練習しました。



みるみる内に力を付け、中学生大会で何度も優勝し高校からもスカウトされました。




差別を受けてきた一家に「誇り」となる希望のホープが舞い降りてきたのです。



相変わらず貧乏でしたが、兄や姉の応援もありスカウトされた高校へ進学します。



そして地方大会でも背泳で優勝し、合同練習では当時女子で記録を伸ばし続けていた「木原美知子」さん(1964年東京オリンピックで功績を残されています)とも一緒に切磋琢磨していたそうです。



彼も地元や高校で一躍時の人となり、国体出場がもうすぐそこに見えていました。



そんな矢先、残酷な現実が彼の前にやってきます。

記録では十分国体に出場出来るのに…




「外国人だから」



という理由でした。



彼はその一言に愕然とし、目の間が真っ暗になりました。
自分のせいでもなく、どうしようもできない。
この事を家に帰って何と話せばいいのか分からない…
家に帰って家族に一連の話をすると、すぐ上のお兄さんが




「そうか…俺たちは何も悪いことをしていないのにな…元気だせ。お前は何も悪いことをしていない。よく頑張ってきた。家族の中で、水泳という形で全力を出してきたんだ。お前は悪くない…むしろ家族の誇りだ。」




貧乏な暮らしは続き、彼は高校2年生で中退しました。




それから水泳から離れ、彼はある決心をします。



日本国籍への帰化




それから10年後…



(その10年間にまた彼の人生を大きく変える出来事が起こるのですが…)



日本人の女性と婚約し、念願の






を手にしました。


帰化申請が通った日、役所のカウンターで

「新しい姓名は何にしますか?」

と尋ねられると、彼は婚約者の姓名を新しい姓名にしました。


※日本で言うと、同じ姓名の人と同士が結婚することになります。



正直なところ、彼は日本国籍を手にしたことに興奮し過ぎて新姓名など考えていませんでした。




「やっと差別から解放され、胸をはってこの日本で生きていける。」




そう心の底から思ったそうです。



その後も彼は運命に「翻弄」され続けていきます…





日本国籍だったら、もしかして東京オリンピック代表にも選ばれたであろう人…




私は少し意味合いが違いますが、リオオリンピックで難民の方が出場し、活躍されている姿をみて、母国を離れていても自分を信じてひたすら努力し、オリンピックで活躍できる実力があるならば出場するチャンス、カテゴリーがあってもいいのではないのか?と思いました。




少なくとも、今回の難民の方がオリンピックに出場できてよかったと思っています。




人生には自分ではどうにもならないことがあり、それでも生きていかなくてはならない…




どんな状況でも諦めずに頑張る彼を尊敬しています。




当時の国体に出場できず、日本の代表にもなれず…でも、その悔しさからその当時10年かかった帰化を5年で実現させました。




私にしてみれば、普通なら幼い頃から日本人で無いことで差別を受け、高校生という思春期で努力をも差別された国に帰化する神経が理解出来ません。




でも、彼は生まれ育った日本が大好きだそうです。辛い思いをしたけれど、大好きなんだそうです。本当に本当に大好きなんだそうです。




彼は65歳の定年退職の歳にもうひとつの「祖国」へ行きました。



感想は…




「とても複雑だったけど、この国にも自分と血を分けた従姉や親戚がいるんだと思ったら、胸に熱い物を感じた。今まではこの国がなければ自分や家族が苦しまなくて済んだのに、と思っていたけどそんな嫌な気持ちは無くなった。」



と話していました。



その彼は…





私の父です。





私もそれを少なからず引き継ぎ、差別を受けていくのですが…



父は今人生を楽しんでいます。
リオオリンピックも昼夜逆転するくらい観ていたそうです(笑)



私と母を怒濤の渦へ巻き込んだ事に涙したこもありましたが、それでも父は父です。



私の大切な父です。


私は父から


「人生にはどうにもならないことがあるけれど、時間(時代)と発想の転換が自分の未来を明るくすることができる。常にアンテナを張っておくこと。○○、諦めずに粘り強く生きなさい」


と教え込まれました。



その日から、人生には



「どうにもならないことなんてない。」



と思うようになりました。



「どうにもならないことは自分でどうにかなるように変えていけばいいんだ。」



と改めました。



私もあとどこまで現役を続けられるか分かりませんが、病気に負けずに毎日を大切に、周りの人たちを大切に頑張って行きたいと思います😊



本日はひさしぶりに朝と夜の二回ブログとなりました。







長文を読んで頂きまして、本当にありがとうございました😊✨





これからもダイアリーな内容ですが、どうぞよろしくお願いいたします🍀




明日は日曜日ですね。
お仕事の方は無理なく頑張って下さいね✨
私は…少し休みたいと思います。










それでは、おやすみなさい💤